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日記のような、、。

2014年4月6日 (日) ようやっと、、。
ようやっと、一段落つきました。
いや、まだ抱えているものは沢山あるんですが(実際、締め切り過ぎていたものもあるので、オイオイ落ち着くなよ。と突っ込まれそうですが。。)
ちぃーーっと、コツがわかってきました。
作曲がどうのこうのという話では全くなく、日々をどうやり過ごすかがです。人との関係も含めて。仕事もそうです。
なんだか淡々として冷たい?感じに聞こえるかもしれませんが、何があろうと無かろうと、自分のやることをやるだけです。
それが時に、つーーまんなく感じても、飽きたとしても、多分嫌いではないハズ。
そしてまわりに振り回されもせず、振り回しもせず(酒を飲んで絡むことはあっても)、
「個」と「全」をふらふら?行き来しながらも、まっーーーつぐにススム感じです。
が、いくらまっすぐと言っても信号無視をするような行為は、昔から好きではないし、それが許される年齢はとうに過ぎている。
2014年1月9日 (木) いろいろろろん。
ねむくてねむくてたまりません。いつからこんなに眠い病になったのか。。
明日、早起き???うーむ。寒くて暗いのはやだな。根性なしだな。あと、ひもじいのも嫌いだ。
が、あんまりゴージャスは好きでないし(ゴージャスという言葉がもう恥ずかしいし貧乏臭い)格好いいのも全然ダメだ。
強いて言えば、涼しい感じがいいのかな。”凛”とかいうのも照れくさい。 ふむ。なんだな。一言で云えば面倒臭い人間なのだな。年明けからやだやだ、だ。
あ、でもそれなりに今年の抱負のようなものはあるのです。
容易い事ではありませんが、頑張るほかないのです。
2013年12月29日 (日) 抱負。
良いことも、そーでもないことも思いつく事が多過ぎて、対応というか処理できない。それが作曲に活かせればこんなにイイコトはないが、そこまでたどり着く前に頭が疲れて疲労困憊してしまう。
「全ての優先順位をしらっと遂行できる、ある意味ちゃんとしたヒトになりたい。」というのが来年の抱負か。
2013年10月14日 (月) あ〜もう。。
あ〜もう。。今年も終わってしまいそうな勢いである。
頭の中が今になってようやく整理されてきました。(遅いよ。)
今年は、と言えば昨年に比べれば作曲の数はそんなにしていなくて、編曲と出版などの校正と再演の為の改訂や録音などで、どちらかと言えば手直しと、今までの作品を振り返る機会の多い年であった。(そういう歳になったのか?)
ってもう今年終わりモードになっている。
いや、まだ編曲、数曲とひとつだけ協作による作曲があるが、なんとなく今年中に終われるだろうという予測がたっている。

来年は、来年でコレまたしんどそうだけど面白そうな作曲がいくつか既に決まっていたり、出版や管弦楽法をもう一度やり直す作業もしたいと思っているので、もうそろそろ数でなくて、じっくり創作したいな〜とは思うものの、まだまだ自分の置かれている状況はそんなノンキなものではなく。(かくかくしかじか、。)
が、だからといって腐ってはいなくて、ひとつひとつキチンと向き合うしかないのです。つづく…
2013年9月29日 (日) 掃除をしながら思った。
さて、私は最近、西洋音楽(ざっくり乱暴なくくり方)がやりたくなった。
もちろん今までのように、邦楽器を使用した曲もドンドン書きますが、2000年に初めて尺八を見た?聴いた?いや作曲してから13年経ちましたがこの13年があって、西洋音楽(だから、ざっりしすぎるくくり方)に、向かえるようになった。長い長いブランクであった。
しかしこれから作る音楽は、洋楽でも邦楽でもない生きた音楽にしたい。
と、今日、掃除をしながら思った。
2013年9月9日 (月) Gブリとワタシ。
昨晩、居間で寝転びながらテレビを見てくつろいでいたら、Gブリの空中遊泳が始まった。
あんなに飛びまくったのを見たのは初めてのこと。しかも低空飛行である故、至近距離までそれは迫ってきた。
で、すぐさま隣の部屋に避難したが、およそスマートとは言えないバタバタとした羽の音がしばらく聞こえていた。
たぶんもう死ぬのかな、、。
しかも、こっちへ向かって来た時、避ける為に変な風に身体をひねってしまって腰のスジを痛めてしまった。
その後、もうGブリの出た1階には居られなくなって、二階に上がって床についた。
やはり殺せなかった。むろん殺すつもりなどなかった。
それからベッドの上で痛くなった腰のスジをさすり目をつぶると、まだあの鈍い羽の擦れた音が耳に残っていた。
で、考える。
自分は、おそらくあのGブリのように死ぬまで格好悪く髪の毛を振り乱しバタバタしながら生きて行くタイプの人間なんだろなぁと。
そう思ったら、あのGさんの悲哀に満ちた空中遊泳にさえ同情を感じてしまった。「同類相憐れむ」という文字が頭の中で漫画の吹き出しのようにポワ〜〜ンと浮かび消えた。
そんなことを考えていたら頭が疲れていつの間にか寝てしまったが、明け方、いつもより寒くて早く目が覚めた時、あの鈍い羽の音が聞こえたかと、思ったらそれは単なる虫の声であった。もう秋なんだなぁ。
2013年6月8日 (土) 毎日ねむかった。
ここ数ヶ月、締切り日を過ぎても、その作品にとりかかれないという状況がずっと続いた。
幸い今は締め切りが遅れかかっているものが一つだけで、ようやく普通に忙しい感じになった。や、嵐の前の静けさというだけなんだけど。

「現実逃避」すると眠くなると誰かが言っていたが、もちろん睡眠不足で眠いということはあるんだけど、作曲すると、途端に強烈に眠くなったりするから不思議だ。
(人間はエライな〜〜。そこまでして自分を守るんだ。と思った。
てか、これは神様がエライなのだな。)

だから作曲してない時はちっとも眠くないんだけど、起きている間はほとんど作曲してたので、結果、ずっと眠かったという状況が恐ろしく長く続いた。。

まぁ、そんなこんなで、普段の生活もままならぬ程、追いつめられてはいたが、考えてみたら追いつめられていたことで、作曲以外の本来自分が考えるべき根本的な問題を考える余裕がなかったから、かえって救われたと思える部分もある。

ま、どっちに転んだとしても、作曲も、その一文も得にならない根本的な問題と向き合う件も、
先送り出来たとして、それが無くなる訳では決してないのであるから、この際、ど〜〜ん!と構える風な感じにしようと思う。

というか、そう悟ったわけでは全くなく、そちらの方が得策だ。と単に思っただけ。。。
それが年をとるということなのか?
いや、それとはまた違った性質も含んでいるが、どっちでもいいや。
2013年4月29日 (月) 音の道筋?
作曲者も演奏者もPC等で、楽譜(音楽)の取り扱いが便利になると良い事の方が断然多いが、不便ならでは利点もあったりする。
楽譜を切ったり貼ったりして整えたり研究したり、パート譜を作成したり、そのパート譜に他のパートを書き込んだり、修正したり写したりする事は、今となってはレトロだが、音楽を作成する、または理解するという点で、作曲者、演奏者、双方にそれなりに必要な事である。
かくいう私も、この10年以上、鉛筆で譜面を書かなくなってるが、、。
昔は、まず頭の中で音を構築し、その音を吐き出す手段として譜面に書き込んでいたが、今は、な〜んとなく音符をゲームのように打ち込んで配置し、再生ボタン一つで音楽を創っている。
どっちが良いか悪いかの問題ではなく、創り方が違うと音楽の道筋も違ってくる気がする。
しかし、近い将来、PCで打ち込んで音楽を創るというスタイルもレトロになった時(もうなってるのかな)、あるいは別の視点で、即興的音楽もレトロと化した時、どんな音楽が生まれるかは楽しみでもある。
つまりもう、今の方法に飽きているのかもしれない。
2013年4月10日 (水) ここ数日思うこと。
いつも自分にとって音楽、殊に「作曲」に関しては、「なんだかな〜〜。」と思っていたが、ここ数日、音楽以外にもいろんなことがありまくって、ふと考える。
私にとって「作曲」は好きでもキライでもなく、得意でも不得意でもなく、ただただ毎日淡々でいて誠実に続けていくものなのだということに気がつく。


さらに過去に行ってどうする?